ハリー・ポッターとの出会い

 昔、1960年代の終り頃、技術革新時代の幕開けと共に技術移転と通商の国際化が本格化し始めた。そして、それを支える特許制度の国際化を目指して各国の協力が活発化する中で、日米の企業人が音頭をとって、両国の意見を国際会議で発言できる国際団体を作り上げた。これが現在の「太平洋知的所有権協会、Pacific Intellectual Property Association」(略称PIPA)である。以来、毎年日米が交替で国際会議を主催し、昨年(02年)は福岡で33回目の会議を迎えた。

 こうした国際会議に欠かせないのは、同時通訳である。国際会議は、同時通訳の良し悪しが会議の成否を左右する。ところが、特許の仕組みや考え方は特殊で、中々一般人に馴染めない。その上、特許用語はとても難解ということで、適当な通訳を見つけるのに当初は大変苦労した。そんな中、幸いにも頭の回転が速く優秀な女性が見つかり、彼女はそれ以来ずっと欠かさず会議でこの役割を果すことになる。その結果として、今では彼女はこの協会の元会長である私と共に、数少ないこの会議出席者の最古参の一人になってしまった。

 2年前の第31回国際会議の昼休み、私は彼女に呼びとめられ、一緒にお茶を飲んだ。そこで彼女が私にこんな話をしてくれた。

 「出版社経営の夫がガンで亡くなった。色々迷ったが、自分がその小さな出版社を引継ぐ決心をし今社長をしている。ところが今、私が選んで翻訳した本が大当たりしている。貴方も一度是非読んでみて欲しい。」

 私はそこで初めて、「ハリー・ポッターと賢者の石」という本の名前を彼女から聞かされた。その彼女こそ、今をときめくレコード破りの長期ベストセラー、ハリー・ポッターシリーズの翻訳者であり、発行元の社長でもある松岡佑子さん。あれから半年後彼女は突然時の人になり、その年の大晦日には紅白歌合戦にも審査員として登場する程の有名人となった。ハリー・ポッター人気は今も衰えず、最近出たシリーズ第4弾もベストセラーになっている。福岡の会議で会った時、「この2年間で貴女は大変身しましたね」と彼女に云ったら、彼女はこう返事した。「変わったのは私の周囲。私は少しも変わりません。」

 夫を亡くした逆境を、こんな見事な形で克服した彼女の晴れやかな笑顔を見て、私も満足して福岡の会場を後にした。昨年10月のことである。