国際共通語の栄枯盛衰

 第二次大戦でアメリカの底力が示されてから、英語の力は次第に圧倒的なものとなっていく。私の学生時代は、未だ貿易はスペイン語、外交や国際条約はフランス語、自然科学や医学はドイツ語と、英語万能ではなかった。しかしその後のスペイン語、ドイツ語の凋落は激しく、フランス語だけが国の威信をかけて英語に抵抗してきた。一方、人工のエスペラント語には根強い信奉者が世界各地にいるが、一大勢力とはなり得ていない。

 私は1969(昭和44)年から1980(昭和55)年までの10余年の間、何回も政府代表、日本産業界代表として政府間の国際会議に出席したが、最初の頃は国際条約の正本はフランス語、英語は副本という雰囲気がまだ残っていた。しかし、この10余年という僅かな期間の間でも、英語とフランス語の力関係の違いが次第に決定的になっていくのを実感した。最初の頃は英仏半々、どちらかといえばフランス語の方が強い感じだったのに、今や英語の力は圧倒的。そして今日では、フランス語の国際語としての凋落は、誰の目にも明らかになっている。

 ところでEUの統合がすすみ、ついに昨年(02年)から通貨を部分的ながら統一。残る最大問題は、共通公用語と各国の言葉の関係をどうするかである。フランス語の地位に関する象徴的なエピソードが、科学技術を対象とした特許条約の領域であった。特許の明細書を英語、フランス語、ドイツ語のどれか一つを使えばOKにして、現在の各国への全文翻訳をやめたいとの案が正式に提案されたのだ。これが実現すると、翻訳作業が大幅に節減される。そして、フランス語が公用語の一つであることは従前通りなのだから、フランスもハッピーに違いない。少なくとも反対することはなかろう。こう思うのが当たり前のように思える。

 ところがフランスはこの案を好まなかった。この案はフランスに新たな悩みをもたらしたのである。三つの言葉を併行して同時に使わねばならないという公用語ならよいが、この新しい案の場合は、特許出願人がその一つのみを公用語として選ぶのだから、フランス圏以外の全ての国が英語、ドイツ語を選び、フランス語は見捨てられるのではないか。つまりフランス語は、名ばかりの公用語、あまり使われず(特許全体の数%以下と推定される)、国際性の乏しい公用語として、その実力のなさが白日の下にさらされることになるのではないか。そうなれば、フランス人の誇りも傷つけられるし、実務面でもフランス語に必ず訳さねばならない現行法の方が、はるかに便利だとフランスは思ったのである。

 今日、このようにフランス語の国際共通語としての立場は中々微妙である。EU当局の記者会見でも、フランス語より英語の方がよく使われるようにいつのまにかなってしまった、とフランス側が嘆いているという記事を先頃見たことを思い出す。

 この特許条約の問題は未決着だが、国際共通語の問題が、総合的に見た国力と切り離しては論じられないことを示す好例であろう。