Standing Ovation

 サッカーのワールドカップの6月は日本中を沸き立たせ、永く記憶に残る印象的な1か月であった。日韓関係改善にも大きく寄与したが、もう一つ、思いがけない大変大きな副次効果を日本にもたらした。それは、日本がこれまで諸外国に対してずっと与えてきた悪い固定観念を、突然打ち破ったことである。日本人は個性がない、顔が見えない、何を考えているか分らない、そんな風に海外の大多数の人達に思われていて、これまで日本は大変な損をしてきた。しかも大損していることに、大勢の日本人は気付かない、乃至は無関心だったことが損を一層拡大していた。

 ところが、この強固な固定イメージが突然大きく揺らいだ。ワールドカップにかつてない大勢の外国人がどっと来日し、日本人と広く交流した。世界中のメディアが日本人にスポットライトを当て、新聞、テレビで書きたて見せつけた。日本人は、感情を率直に表現する、どの国のチームもフェアに応援する、顔の見える人間味のある人達だ。どれも外国人達には新鮮で強烈な驚きであった。これは日本の評判挽回のまたとないチャンスで、こんなイメージ・チェンジは滅多に出来るものではない。

 アメリカ人はstanding ovation(総立ちしての大喝采)が大好きだ。群集が一斉に気持ちをそのまま形に表す、大変素直で分りやすいパフォーマンスだ。その場にいる者全員(劇場や音楽会であれば俳優や演奏家と観客、サッカーであればプレイヤーとサポーター)がまさに一体となって喜びや満足や共感を示す最高の形だからだ。

 私は、1990年代の前半、アメリカの会社の社長として頻繁に大勢の社員を集めて演壇に上がった。日本の会社の場合と社員の態度が全く違って、こちらの話に手応えがあるので話す方もやり甲斐があり、力が入る。共鳴、共感すると、このスタンディング・オヴェイションになる。しょっちゅうではないが、ここぞと私が思ったところでそのように反応してくれるのはとても嬉しいことだ。その度に、私はアメリカ人の素直であけっぴろげのところを実感した。

 日本の社会もこんなスタンディング・オヴェイション現象が普通に起って、素直に思いを表に出す、そして皆が思いを共有するようになれば、日本人の国際的なイメージアップは次第に定着していくに違いない。ワールドカップは、日本人にもそれができることを示したものだと思う。