服部君の死

 今年(02年)もまた、ハロウィーンの季節がやってきた。米ルイジアナ州に留学していた名古屋の高校生、服部剛丈君がハロウィーンでの招待先の家を間違えて射殺された事件から、ちょうど10年が過ぎた。私はその時アメリカに住んでいて、この事件には特に大きな関心を持った。アメリカでも、服部君のホストのHaymaker夫妻がニューヨーク・タイムズに一文を載せて反響を呼んだ。あまり週刊誌を読まない私も、"Death of A Visitor"という大見出しでたくさんの写真と記事を載せた"People"という現地の週刊誌を読んだりして、大変なショックを受けた。

 日本の新聞も色々読んだが、或る新聞には"freeze"という言葉を服部君が知らなかったのが惨事につながったことが大きく取り上げられ、日本の英語教育が悪いとする、さる知識人のあきれたコメントが載っていて、本質を忘れて場当たり的なコメントをする日本のインテリにも困ったものだなと思ったことをよく憶えている。私の英語の先生は、freezeは警察用語で余り普段は使われないと教えてくれたが、確かにテレビの警官と犯人との撃ち合いには"freeze"(動くな)と叫ぶ場面がよく出てくる。

 アメリカの銃社会を変えようとした服部君の御両親の訴えで盛り上った運動も、成果が今一つ芳しくないことはとても残念。しかもブッシュ政権は、従来の憲法解釈を最近変えて武器の保有はそれ自体個人の権利とする強硬な考えを打ち出している。また、服部君の死を契機に始まった高校生の日米交換留学の新規プログラムも、資金難で10年で打ち切りの危機とか聞く。

 服部君の死、御両親の無念さ、そして御両親がやむにやまれぬ気持ちで起こしたアメリカ社会改善への運動、これらをこんなに早く風化させてしまってよいものだろうか。