九大薬友会関西支部の生い立ち

20周年記念に向かって−

角田 喜治(10回生:副支部長)

 平成15年1月18日(土)の日本経済新聞の朝刊に「企業や行政機関で日々発生する資料が散逸し、過去に遡って調べようと思っても資料がないために支障を来たし、場合によっては技術が継承されないこともある」という記事が載りました。企業や行政機関でそうだから、まして九大薬友会関西支部というちっぽけな私的集まりの生い立ちを正確に記述できる資料は私の手元にないのは当然で、今にして思えば、資料を残しておくべきだったといささか残念に思っています。
 
平成14年支部総会当日に出席された平田雅春さん(7回生:元塩野義製薬勤務)、三塩晋作さん(17回生:大日本製薬執行役員)、野田直希さん(22回生:摂南大学薬学部教授)にもお尋ねしてみましたが、定かでない点がありました。
 したがって、以下にまとめた事柄のうち、時間的な要素など思い違いをしていることがあろうかと思います。その場合はご容赦願いたいと思います。

 (1)関西支部ができるまで
 私は1961年(昭和36年)に武田薬品工業に入社し、研究所に配属されました。今からはおよそ考えらえないのですが、入社当時の武田の研究所は東京大学や京都大学出身の研究者が多く、九大薬学部(当時は医学部薬学科)出身者は皆無で「九大ってどこにあるんや」という調子でした。東大、京大出身の研究者全員がそれぞれつるんでいたとは思いませんが、研究所長(現在の研究本部長)、研究部長(現在の研究所長)という主要ポストはこれら大学の出身者で占められていたこともあって、彼等の間のネットワークは公私に亘って強固なもので、うらやましいという印象を持ちました。
次の年に柏謙一さんが入社してこられ、その後つぎつぎと、九大薬学部出身者が本社、工場も含め入社されるようになりましたので、九大薬学武田会は作りましたが、関西支部を作ろうと気運までには至りませんでした。
 現在の関西支部のような集まりがあっても良いのではという話が出始めたのは1969年(昭和44年)頃ではなかったかと思います。それは2代目薬学部長西海枝東雄(さいかちはるお)教授が九大を退官され、現在の神戸学院大学薬学部を設立されるために西宮市(夙川)に転居されてこられ、西海枝教室(旧薬品製造工学教室)卒業生(現関西支部青木顧問:1回生、西栄次郎さん:1回生、福山寿宏さん:4回生、下郷悦三さん:5回生の皆さん他数名)が集まった時だったと思います。しかしながら、その後しばらくして西海枝先生が病気になられたため、この話は立ち消えになりました。
それと当時の関西在住の卒業生は製薬企業勤務者が圧倒的に多く、卒業生と言えどもライバル会社の従業員が一同に会する事は心理的に憚られるというムードが、今にして思えばばかばかしい事ですが、支部設立を阻んでいたような気がします。それに支部のお世話を引き受けてくれる大学人がいなかったのも大きな原因でした。
 そしてチャンスが訪れたのは1983年(昭和58年)摂南大学薬学部が設立され、高畠英伍元長崎大教授(衛生化学)、川崎敏男元九大教授(植物化学)、現在の宮原・熊懐摂南大教授の諸先生が関西に移ってこられたときだったと思います。
川崎先生が大阪への転居挨拶に武田薬品研究所に来られましたので、私も研究所幹部と一緒にご挨拶させてもらったのですが、その時に、先生(先生は東大出身)が「九大も東大同様、関西に同窓会を作ってはどうか」と一言いわれたのが契機となったことを覚えています。そこで、高畠先生や川崎先生にお願いすれば東大や京大に負けないネットワークができるかも知れないと。
私の記憶が正しいかどうかは分かりませんが、当時福岡には未だ支部はなかったのではないでしょうか。
 1983年前後は、わが国の多くの製薬企業が基礎研究に力を入れ始め、また大型コンピュータが化合物の薬効薬理データ処理以外に、毒性データ処理や製品の安全性情報収集に利用されるようになり、活気溢れる時期でした。しかし、その一方で薬害に対する社会的関心が一段と強くなってきた時期でもありました。とくにチバガイギー、武田薬品、田辺製薬はスモン事件を引き起こした企業として1970年代前半以降マイナスのイメージを社会に与えた時期でした。 

(2)設立総会−第1回総会−は十三の喫茶店で
 摂南大学の諸先生のご都合も考え、1984年(恐らく7月)の土曜日午後、十三の喫茶店で開くことに決定しました(その喫茶店は今も健在)。今日のような連絡網がないので、武田薬品の研究所や本社勤務の卒業生を中心に、また摂南大学の宮原・熊懐両教授(小生と同期生)を通じて、名簿を頼りに、卒業生に連絡をとってもらい、また、西海枝教室同窓会でお会いした青木顧問(当時藤沢薬品勤務)、福山寿宏さん(当時大日本製薬勤務)さらには八隅政毅さん(当時塩野義製薬勤務。11回生)、小野行雄さん(当時神戸学院大学助手。現福山大学薬学部教授)に電話を差し上げ、出席をお願いしました。会計、その他もろもろのお世話は武田薬品勤務者がやらせていただきました(柏謙一さん、駒谷太郎さん、渡辺正純さん、岡田弘晃さん−前関西支部長−ほか)。
 当日は40人強参加されたという記憶があります(女性が何人参加されたかは定かではありませんが、松本昭子さん(11回生)はじめわずかだったと思います。)場所が喫茶店だったので、アルコール類は数多くそろえることはできませんでしたが、それでも先生を囲んで学生時代の思い出などに華が咲き、会は結構盛り上がりました。現在の支部総会と違って会員や先生との年齢差が少ないため、意気投合しやすかったことがあったのかもわかりません。
次回、関西支部会則を作る、支部長は高畠先生に、幹事長は平田雅春さん(7回生。元塩野義製薬勤務)にお願いすることなどを決定いただいたので、設立総会−第1回総会の面目を何とか立てることができました。
(十三で昼間からアルコール類を提供してくれる店は少なかったですね。したがって、場所探しは参加者数や会費のことも考慮すると、相当苦労をしました。)

(3)関西支部が動き出した
 第2回は高畠先生(支部長)を中心に塩野義製薬の平田雅春さん、八隅政毅さんや松本昭子さん、三塩晋作さん、野田直希さんの皆さんが推進されました。
その後、支部長は川崎先生を経て、現青木顧問(当時藤沢薬品取締役)を初めとする企業勤務者へ引き継がれ、支部長を補佐する幹事長も企業勤務者が、事務局は大学勤務者が担当するという体制ができ上がってきました。
関西支部設立当時の先生方や卒業生がいまだ壮健で活躍されていることは非常に喜ばしいことと思います。それに加えて支部が一度も頓挫することなく活動できていることは20年前には予想すらしなかったうれしいことです。それは偏に支部長、副支部長、幹事長、各幹事のみならず、多くの会員の皆さん、本部からの弛まぬご支援とご協力があってのことは言うまでもありません。
 私は昨年から支部活動に参加させてもらっていますが、現在の若い役員の方々の活動ぶりを拝見していると、20年前の若さがそのまま受け継がれており、九大薬友会関西支部ここにありという頼もしい印象を強く持っております。
設立当初は若さが漲っていた会員の多くの方は第一線を退かれ、総会に出席される機会が少なくなっておりますが、20周年記念総会では将来性のある若い会員とも交流いただき、九大薬友会関西支部発展のためにご支援を賜れば幸いと思っております。

なお、個人的には武田薬品入社当時の夢(九大薬学人ネットワークを作る夢)が少しは実現できたと喜んでおります。