I氏への手紙 神などについての雑感

武田薬品工業(株) 土井 孝良

 

 2003年がスタートしましたが、相変わらず日本は長びく不況に苦しみ、世界ではテロが多発しています。先日友人が神についての手紙を送ってきました。心の葛藤を宗教に求めている人が増えているのかもしれません。私は自分の近況を加えて返信を書きました。下記はこの返信に手を加えてスタイルを整えたものです。たまには日常を離れて形而上の世界について考えてみるのもストレスの解消になるのではないでしょうか。以下、ご一読頂ければ幸いです。 

 いつも非常に良く練られた文章で、今回のお手紙は特に感心して読ませて頂きました。
「全てが偶然の進化の産物として存在している人間が、神によって支配されている・・・」、神は人を支配しているのですか。前にも書きましたが、私は人間の認識のレベルを超越した存在 (something great) を以下のように考えています。

私はラットを用いて薬の研究をしています。ラットは近づいてくる私をみて、私の存在を明らかに認識しています。彼は私をみてどう思っているのでしょうか。動く大きな物体が近づいてきた、と危険を感じているのかもしれません。ラットの近くでしばらく彼を観察していると、彼は安心したのかケージの奥の方に行ってしまいました。私を危険ではないと判断したのでしょうか。ここでsomething greatについて考えてみたいのですが、このラットに人間という存在、人間の社会、感情などを説明して理解させることが出来るでしょうか。犬や猫でも同じですが、彼らに人間を理解させるのはどう考えても無理だと思います。そして、これらラットや犬や猫にとって人間は彼らの認識の限界を超えた存在と言ってもいいのではないかと思うのです。

違うたとえを考えてみると、アフリカの草原でライオンがイボイノシシを捕らえて食しています。人間はこの事実を当然のことと捉え、観察しています。決してライオンにイボイノシシを捕らえて食してはいけない、とは言いません。これが自然なんだと納得するだけです。イボイノシシやライオンにとって人間はどういう存在なのでしょうか。彼らは人間という動く動物を見て認識していると思いますが、人間という存在を理解している訳ではありません。となれば、やはりこれら動物にとって人間は彼らの認識を超えた存在、something greatとたとえることが出来るように思えるのです。

今度は人間を草原の動物としてみます。そうすると人間の認識を超えたsomething greatが存在してもおかしくないかもしれません。上記のたとえによれば、実は私達はsomething greatを見たり触れたりしているのですが、その存在を認識出来ないだけかもかもしれないのです。

 支配とは、他に強く働いてそれを左右することとあります。Something greatは人を支配している可能性があるかもしれません。しかし、神は病気や戦争などで苦悩する多くの人々を必ずしも救う訳ではありません。神を信じ敬っている人々であっても救われているとは思えないこともあります。「Something greatは何らかの意志」ですか。意志とは強いはっきりとした意向です。神は何かをしろという強い意向を示すのですか。というよりも、きっと神は生きる方向、方向性を示すのですよね。そして、その方向性に従って生きることが運命につながると。

 「一卵性双生児の一人は貧しい環境で韓国に育ち、もう一人は恵まれた環境でフランスで育った。成人して二人は会ったが、身長も体重もほぼ同じで、知的レベル?もほとんど変わらなかった。あるいは、一卵性双生児が別々に育ったが成人した二人はそっくりの消防士になっていた。」などの話をよく聞きます。これは人が生きるうえで遺伝子の影響がとても大きいということを示しています。運命論になってしまいますが、各人の意志、努力による変更はあるにしても、人生は神の意志でプログラムされているのでしょうか。

 私に起こるいろんな出来事は必然である、と捉えようという努力を私はしています。もしそうであったら素晴らしいと思っています。なぜなら、私に起こる全ての事象が私を導き育ててくれるのですから。

 進化は偶然の積み重ねですが、人間を含む生物の存在、生きることのメカニズムはとにかく奇跡です。まるで神が創ったのではないかと思えるような、長い時間が作った奇跡です。生物の仕組みにただただ感嘆します。

 私は自分なりの人生に対する姿勢をやっとつかみかけた所で、まだ明確な生きることの目的を確信出来ている訳ではありません。現実問題として、少なくとも私が働かなければ家族は路頭に迷います。また、世のため人のために何かをしたい生きたい、とは思っていますが、人間関係に疲れた時には、世のため人のためなんて馬鹿らしい、やめた、とも思います。

 私はどうしても判断に迷うとき、天からみている神だったらどうするのだろう、と時々思います。

 現在私は単身赴任の生活ですが、さほど寂しいと思ってはいません。このような手紙を書ける自分の時間が出来てありがたいと思うこともあります。逆に大阪にいる妻が三人の子供の世話で大変なことと、小学校2年の二男と4才の長女が寂しがっている、と聞くのが残念です。

 今日はこれで終わりにします。

 また、お手紙を下さい。