薬学6年制の功罪
 

摂南大学薬学部 熊懐 稜丸

今回、薬友会の幹事である野田先生から、6年制についての解説をとの依頼を受けたが、気が重く適任でもないとお断りしたが、とにかく考えていることを書いてみたらとのことなので、解説と言うよりは私見を述べさせて頂いて責を果たすことにする。
 今から約40年前、薬学は有機化学だけでよいわけがないとして、「薬学は如何にあるべきか?」ということがいろいろな方面で議論された。筆者も「若い薬学者の会」などを通して議論に参加し、意見も述べた。これらの内容は薬学研究白書としてまとめられ、青書へと発展した。そのときの細かな表現は忘れたが、「薬学とは基礎学として、有機化学、物理化学、生化学を動員し、医薬の創製、管理、利用を通して、国民の病気の治療や健康の維持増進に貢献する応用学である」とする定義を与え、詳細な記述をしてあったように思う。これは薬学の現状をしっかりと見つめた上で、薬学に携わる人(単に医療に直接携わる人だけではなく、薬学を出て広く活躍している人)の総意としてまとめられたものと思っている。
 
他方、医療に直接タッチしている薬剤師の問題点としては、医薬分業の問題や医療の担い手として直接患者に接する機会がないなど、薬剤師の地位が低く、これを何とか引き上げたいという願望があり、そのためには進歩の著しい医療面の薬剤師の教育には6年制が必要だという議論はかなり前から延々と続けられてきた。数年前、医薬分業や、医療の担い手としての薬剤師の地位の法的整備が整って、一挙に6年制論議が進んだ。これを機に「医療に貢献する薬剤師の教育」を目指して医療系の充実を目指した6年制カリキュラムが検討され、実施されようとしている。これで薬剤師の地位が上がり、6年の学部教育に見合った地位、待遇が得られれば多少有機化学系が冷遇されても仕方がないかと思う。
 実際に検討されているカリキュラムを見ると、半年の実務実習をはじめ、多くの医療系の科目が増えている。他方、化学系についてみると、4年制でコアとされた部分までも切り捨てられようとしている。基礎の弱体化であり、背筋が寒くなる。
 日本の薬学は長井長義の名を挙げるまでもなく、有機化学に端を発し発展してきたが、本質は「医療に貢献する薬学」の研究と教育を目指し、多くの成果を挙げてきている。その結果、卒業生は薬剤師にとどまらず、いろいろな分野に活躍の場を持っていた。筆者が危惧するのは、このような広い活躍の場を持つ薬学が「医療に貢献する薬剤師」の教育だけに凝り固まったとき、その活躍の場は大きく狭められるのではないかと言うことである。経過処置として、「42(学部4年+修士2)が認められてはいるが、将来的には6年一貫教育を目指すとしている。簡単に言えば、大学院修士課程がなくなるのである。大学での研究を誰が担うかは大問題である。研究のない大学でよい教育ができるわけがない。今回の6年制はアメリカの薬剤師を念頭に検討されているのかもしれないが、アメリカには薬学教育はあっても薬学研究はない。したがって、研究を重視するような有名大学には薬学部は設置されていない。まさに6年制はサイエンスとしての薬学の崩壊に他ならないと危惧するのは私だけだろうか?
 薬剤師に特化された薬学教育がなされれば、それ以外への働き口は当然減ると思われる。多分今の定員でも薬剤師は余ることになりかねない。もし世の中が、需要と供給によりその価値が判断されるとしたら、薬剤師の地位は大きく下がらざるを得ない。すなわち、6年制に見合った親の投資に対するペイがないとすれば、薬学希望の学生が激減するのは目に見えている。そうならないために、国家試験を難しくして、薬剤師の数を絞ることはできるかもしれないが、他に潰しの利かない教育をしていて、そうなったら悲劇である。このようなことを知ってか知らずか、世はまさに薬学部の増設ラッシュである。その論理は、多分少子化の影響を今のところあまり受けずに学生が集まっており、比較的増設しやすい学部として、大学の生き残りをかけて、薬学部の増設に走っているのである。関西でも同志社女子大や大谷女学院改め大谷大学などに設置、ないし設置予定のようである。以前は薬剤師の過剰にならぬよう、薬系大学の増設は慎重に行われ、20年間全くなかった。
 
しかし、世はまさに規制緩和時代ということで、野放しに薬学部の増設を認めているのはいくら小泉内閣が無責任内閣だといってもひどすぎると思う。これでは希望者の減った受験生を奪い合い、共倒れになるのは目に見えているように思う。
 薬学が生き残るにはどうすればよいか? やや我田引水であるが、われわれが知恵を絞ってまとめた「薬学研究青書」の主旨に沿った基礎学から応用学までの充実以外に生きる道はないように思われる。「医療」「医療」と舞い上がらず、「基礎」から「応用」までじっくりと教育し、研究する大学だけが生き残れるのかもしれない。現在の制度では、修士課程の学生の研究に占める貢献を無視することはできない。経過措置として「42」が認められている間に、修士課程の重要性を皆で認識しあい、サイエンスとしての薬学を守り、単なる6年制一貫のみでない制度に向かって皆で知恵を絞る時期ではないだろうか?
 何故なら、基礎研究に基づかない薬剤師、すなわち、基礎の弱い薬剤師は医療の場においてさえも尊敬されないことは目に見えているからである。
 このように書くと、標題の「功罪」の罪ばかりを述べたようで申し訳ないが、筆者にはそうとしか思えないのである。この時期に大学を去る筆者は、よい時期に去るとほっとしている反面、このままでは自分なりに精魂傾けたものが壊れていくようで、後ろ髪引かれる思いであるのもまた事実である。