新システムが英語を連れて押し寄せる!

−ある教員の困惑−
   


摂南大学薬学部 野田 直規  
   

それは、キンモクセイの花香るある秋の日の出来事であった。
 薬学教育6年制新カリキュラム実施計画に関する会議が開かれ、そこで配布された印刷物を見た瞬間、目が点になり、愕然とした。
議題:

1) SBOs
に基づくCBTの作成
2)
プレファーマシー実習とクリニカルパス演習について
3) EBM演習とSGDの積極導入
4) POS
の説明とSOAP作成に対する技能習得について
5) SP
参加型ロールプレイの実施時期
6)
医療現場におけるコミュニケーションスキルの向上
7) OSCE
PBL・・・・ 

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LS (Learning strategies:学習方略)GIO (General instructional objective:一般目標)SBO (Specific behavioral objective:行動目標)といった略語が飛び交い、頭がクラクラする新カリキュラム会議はなおも続いた。
(さっぱりわかりましぇ〜〜ん、strategiesを訳わからん「方略」などと訳しとるけど、直訳すれば「戦略」でしょ! これってみんな、もとをただせば侵攻作戦に参加する米海兵隊のための戦闘教育用語なんだろーな〜。それにだよ、廊下でもろに顔つき合わせても、挨拶ひとつまともにできもしないくせに、コミュニケーションスキルの向上だと? 笑わせんじゃないヨ! オイ、そこで得意げに英単語並べ立ててペラペラしゃべってる若ケーの、わかってんのか! :柄の良くない団塊世代の失格教員)

 こうして集中力を欠いたまま、むなしく時が過ぎ、やっと会議が終わる。
ボーッとしたまま自室に戻るや否や、事務室から電話。

「先生、来年もオーキャンやっていただけますよね?」

「なんじゃ?そのオー?キャン?って???」

「いやですよ、センセ、オープンキャンパスのことですよ!しっかりしてくださいよ」

「なんだと〜〜 もう一度いってみろ〜〜! オープンキャンパスをオーキャンと略したからといってナンボの時間の節約になるというんじゃ、今、深―く傷つき落ち込んでる時もとき、これ以上私に変な略語使うことは、こ、こ、金輪際、許さ〜〜〜〜ん」

 効率化によるあくなき利潤追求、能力・成果至上主義をかかげる今日の社会は、大学に対し、卒後すぐに役立つ、すぐに使える就業意欲と実務能力を兼ね備えた人材の育成を強力に要求してくる。厳しい国際競争に勝ち抜くためにも、その予備軍としての労働力に対し、より一層の資質向上を求めてくる。
 良い大学とは、より多くの良質な産業予備軍を養成し、より多くの人材を一流企業や官僚候補として輩出するのはもちろんのこと、社会により多くの利潤をもたらす研究を遂行している大学のことであり、さらに昨今の少子化の中「消費者」である学生様達のニーズに迅速に対応し、彼等がご在学中、よりご快適に、よりご満足いただけるサービスを提供できる大学でなければならないのである。そのために大学は、生き残りをかけ、日々膨大な費用とエネルギーを費やし、高評価獲得にしのぎを削っている。
 かくして、「消費者」である学生様達に、まるでホテルのような環境を提供する中、手厚いリメディアル教育を施し、早期からキャリアデザインを強く意識させるためにアーリーイクスポージャーを体験させ、夏休みのインターンシップを経て、就職戦線へ向わせる。まさに至れり尽くせり・・・・・・・我々の学生時代を思うと隔世の感がある。
 まだ3年生だというのに、早々とリクルートスーツを身にまとい、カッカッと靴音を響かせながら廊下をせわしなく行きかう、そんな学生達とすれ違うたびに私は言い知れぬ違和感を覚えるのである。
 かつて、大学において産学協同などという言葉を不用意に発せようものなら、自ら学問の自由を放棄し、安易に日帝 (注、日本帝国主義) に組する不埒者として、つるし上げられた全共闘華やかなりし時代があったことなど、もはや遠い昔の一出来事として、人々の記憶からも消え去ろうとしている。
 それにしても、本来時間をかけて教授すべき基本的必須事項と、卒後様々な分野に出た後に自らが習得すべき事項を峻別することなく、大学が既知の任務に備えるノウハウのみを先回りして切り売り伝授する場所に成り下がり、挙句の果てに、大学での研究が、近い将来にあげられそうな利益、経済効果を基準として評価されるようなことになれば、遠からず国力の急速な衰退を招くであろうことは疑う余地がない。
 現在の我が国は、教育分野に限らず、経済、医療、サービスなどありとあらゆる方面において、その圧倒的な富と力により世界を支配している資本主義の牙城、米国で考案された様々なシステムをなりふりかまわず導入・模倣している。
 それらシステムは、日頃聞き慣れない大量の英単語を伴って、まるで津波のように押し寄せ、既存のシステム、価値観、慣習を容赦なく押し流そうとしている。
 断っておくが、こうした現象がすべて誤りだという気は毛頭ない。しかし、それほどまでにして取り入れてきた各種システムが、これまではたして本当に人々の心と生活をより豊かにしてきたのであろうか?
 最近の世相を例示するまでもなく、弱肉強食思想の蔓延と過度な拝金主義により、社会の至る所で強と弱、富と貧との格差拡大、広範な社会規範の崩壊によるモラル低下、偽造、捏造、凶悪犯罪の増加など、人心の荒廃による社会不安の増大を実感せざるを得ないのが現状であろう。
 にもかかわらず、行政機構から我々の身近な日常生活に至る様々な分野に、これからも新たなシステムが、聞きなれぬ英語とともに続々と導入され続けることであろう。
 しかし、如何なるシステムが持ち込まれようとも、それらが成果を挙げるか否かは、システム自体の良否はもとより、それを運用する人間の資質と力量に深く依拠していることを片時も忘れるべきではない。
 今、幸いにも私は、若者を戦場に送り込むために「strategy」を教授する士官学校の教官ではない。天然物化学分野の、ほんのささやかな研究を通して、自然とそこに生息する動植物にたいし、畏敬の念をもつとともに先人たちがこれまでなしてきた業績を深く敬い、それら知見を基盤として、おごることなく温故知新のスタンスで、新たな領域を果敢に切り開いていく創造力豊かな若者を育てたいと思う。
 今年より米国システムをまねた薬剤師専門職能教育が開始される。本制度の是非にかかわらず、新システム導入が決った今となっては、それを運用する側の一人としてベストを尽さねばならない。さて、これからいかにすべきか? 聞きなれない英単語の洪水の中で、溺れそうになりながら自問の日々を送っている。