エイズとのかかわり

 12月1日は世界エイズデー。昨年(02年)のエイズ死亡者は310万人とショッキングな数字だが、私は過去色々な面でエイズとの接点があり、二、三のエピソードを紹介したい。

 私は、海外旅行する日本人の現地でのホームステイを一方で世話し、他方で外国人の日本家庭への受け入れを進める「サーバス」という国際団体で、設立時からもう40年間、会員(現在、名誉会長)である。この旅行者(サーバストラベラー)を受け入れると、ホストの家庭で家族の一員として一緒に暮らすことになる。1980年頃エイズは原因不明の病気で、その後HIVウイルスによるものだと判明するが、1980年代後半のこのエイズの恐怖はトラベラーと受け入れ側のホストの信頼関係で成り立つ「日本サーバス」に困難をもたらした。会員から、受け入れたトラベラーを入浴させたらエイズ感染の恐れはないか、との質問が頻発したからである。大丈夫と返事し、その後は次第に沈静化した為、何とか乗り切ったが、これには閉口した。

 私がアメリカで会長、社長をしていた製薬会社の主力製品が、エイズ患者の死亡主因であるカリニ肺炎の治療薬であった。アメリカには各地にエイズ患者の団体があって、活発なロビー活動をやっており、政治力も強かったが、薬を供給する製薬会社に代表が来たり、デモがあったりした。アメリカの我が社の良いイメージ作りに役立つようなことはないか探していたが、運良く、エイズ患者の母親から生まれた赤ちゃんを引きとって預かり、養子として育ててくれる家庭が見つかるまで世話をする施設("The Children's Place")が、たまたま会社所在地シカゴにオープンした('91年8月)ことを知り、そこへの援助を始めた。2、3度訪問して赤ちゃんも抱かせてもらった。こんな施設ができその活動を見ることで、アメリカ社会の懐の深さを垣間見た思いがした。

 最後に、私が属するロータリークラブとエイズとのかかわりを一言。生駒にエイズ資料館がある。これは輸血でエイズに感染、死亡した血友病患者の母親が数年前に立ち上げた活動で、我がクラブからも寄付援助を数回した。やっと昨年末NPO(特定非営利活動法人、奈良HIV情報センター)設立が認められ、会員募集を始めた。エイズ資料館は近鉄生駒駅から徒歩数分のところにある。

 皆さんが、心の片隅にエイズ問題の将来を案ずる気持ちを少しでもとどめおいて頂ければ有難いと思う。